pantune log

webディレクターの日々の記憶

人は何故ドヤるのか、そして何故ドヤは悪に映るのか

特にwebやハードウェアに関してのドヤリングに対しての過敏な反応については

もうこれはドヤる方もそれ見てイラつくのももはや世紀末状態。

なんかピリピリはしてるよね。

 

kindleのCMについてはまぁ色々と言われているけど

確かになんかイライラする。

 


The all-new Kindle Paperwhite (Japan TV ...

 

このイライラの原因はなんなんだろう。

恐らく僕が思うに、kindleの売りというのは

電子書籍における携帯の利便性や本を持ち歩く事に対しての

カジュアルさだと思うのだけど

 

このCMから受ける印象というのは

kindle使ってる俺かっけー」具合なのかなと。

 

本と言うメディアは遥か昔からある物なのに対して

さも、本を使っている俺やばくね?的な「今さら感」がイラつくのかなと。

 

電子書籍って言ったら

媒体が紙からデジタルに変わったって事なんですよね。

 

本なんて別に特別な物ではない時代に

媒体が変わったというだけでカッケー!みたいな感じ。

 

確かに持ち運べる数は電子書籍になる事で増えるし

実際、電池の持ちとかいいし、電子ペーパーが太陽の下でも読みやすい(paper whiteに限定)

というのは僕も体験しているので分かる。

ある種のイノベーション的な側面は否定しない。

 

だけど、違うんだよね。

その利便性こそフォーカスする物であり

デジタルになった書籍を読む「人」なんて物はぶっちゃけどうでもいい。

 

これはスタバでmacドヤリングしている人たちを嘲笑するアレと似ている。

実際に僕もカフェでmac開く時もあるけれど

カフェでmac開いている人の何割が「有意義」にmac使っているんだろうという話。

 

実際に家だと誘惑に負けちゃうから

外でコーディングする人も知っているし

仕事している人も知っている。

 

だけどカフェでわざわざmac開いてfacebookやってる人も知ってるし

ただブラウジングしている人も知っている。

 

結局ツールはツール。

そのツールを持って何をするかっていうのが大事なのに

結果じゃなくてプロセスに注力しすぎると結局はドヤに繋がり嘲笑の的となる。

 

ツールを色んな所で使ってみたりインテリジェンスっぽい物をひけらかしたい

気持ちはまちがっていないけどそこに本質はない。

 

今も昔もツールは結果に対しての手段であり

そのプロセスにこだわる物ではない。

 

僕は世の中のドヤの質は圧倒的にこのプロセスに対してのような印象を持っているため

イライラもすれば、鼻で笑いたくなったりもする。

 

新しい物を手に入れて使いたくなったり、自慢する事は間違いじゃない。

ただ、それが行き過ぎた瞬間に、その物事の価値は下がり、共感を得られなくなるのだ。

 

kindleのCMに関して言えば

kindleを知らない人たちがkindle使ってドヤっている人の話なんか興味がないし

便利である事の側面に対してのアプローチについて

もっと真摯的であってもいいんじゃないだろうか。

(特に日本人に対してはそっちの方がリーチしそうな気がする)

 

おめーのオシャレさとかマジどうでもいいから

もっと本質的な事を伝えろや!

 

というのがkindleCMについてのイライラの根源のような気がするよー。