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webディレクターの日々の記憶

高校の先生が自分の家庭を優先する事

ニュースになってますね。

高校教諭が入学式を欠席 「息子の入学式に出席のため」という理由は許されるか

 

自分の子供の入学式と自分の担任のクラスの入学式がかぶっちゃったので

自分の子供の入学式を選んだ、という。

 

ただ、ここで一つ違和感があるのがなんかこの結果に至ったのは

その先生が一人で暴走して決めた事でもないのに、対象が先生一人になっているという事。

 

当日にいきなり、「私、今日自分の子供の入学式だったわー。ちょっと自分のクラスの入学式出れないわー」

という流れで決めたわけでもないだろうに。

 

確かに、自分が入学した学校のクラスの担任が当日行ったらいなかったというのは「あれ?」とはなるとは思うけれど

そもそもそれを許可した学校側はちゃんと全力でフォローしたのだろうか。

「あれ?」となった学生にちゃんと然るべき対応は出来ていたのだろうか。

 

公職という民間企業とは少し違う領域である以上、もしかしたらプライベートが犠牲になる事は僕の理解の範疇ではないのかもしれない。

ただ、この先生を叩いている人たちのどれくらいの割合の人が「ちゃんと自分の意見」として申し立てているのだろうか。

 

集団生活である「学校」という枠組みの中で「個」を叩いているようにも見える事に僕はいささか疑問を抱いているのです。

 

ちなみに、僕個人の意見としては

我が子の入学式と仕事がかぶってしまい、どうしてもそれが避けられない状況であるならば、どうにかフォロー出来る状態にする事を前提に、多分我が子の入学式に駆けつけると思います。

 

言い方は悪いと思うけれど、我が子の入学式は一生で一回しかない。

僕が一人いなくなって回らない仕事なんて物はないと思う(民間だからそう思うのかな?)

 

どっちが正解か、なんて事はないと思うんだけどね。