経験しないと分からないでは幅なんて広がらないのお話
「自分の目で見た物以外は信用しない」
なんて言葉を実際に使ってる人は周りには幸いにもいませんが
実際の所は結構いるのかなどうなんだろうか。
世の中の出来事を全て自分の経験則から語るだけでは
いつか限界が来るし、それだけでは面白くないんじゃないかと思う今日この頃。
大人になると今まで以上に予想もしない事が次々と起こる。
僕を取り巻く環境は10年前ではとても想像のつかないように変わっているし
その度に考え方は常にアップデートされている。
ただ、考え方って何か起きてからだけではなく色んなインプットから変えられる。
経験でしか語れない人は普段から圧倒的なインプットが足りないし
何よりも想像力が足りてない。
発言に責任を持っている人は基本的には思慮深い人が多いし
ちゃんと人と向き合っているのだと思う。
某会社のマネージャーの方が
部下の相談に対して、全く持って見当違いのアドバイスをしたという話を聞いた。
身体的に通院をしないといけないので迷惑をかけますという旨の報告をした際に
自分の分からない事だからか、見当違いの精神論でアドバイスをしたというお話。
もちろんその病状について知らないのは仕方のない事だし、何かしらアドバイスをしようという親心から来た物だろうが、あまりの見当違いさに、その話を聞いた時に僕は
「なんて浅はかなんだろう」と思った。
そしてそれと同時にそのアドバイスは部下に対してのものではなく
自分を取り繕う保身から来るものなんだろうな、とも思った。
上司がマルチで有能な場合なんて中々のレアケースだろう。
だけどそのマネージャーは人の気持ちを汲み取る前に、自分を取り繕う事を選んだ。
想像力の欠如である。
損得勘定で言っても非常に稚拙である。
こう言えば相手はどう思うだろうか。
そしてその発言をした自分はどう思われるだろうか。
上辺だけの甘い言葉でその場を乗り切ろうとしたってそんな事はバレるものだ。
その場凌ぎはいつかボロが出る。
マネージャーという立場であればなおさら、長期的な視野で考えないといけないと思うのだけど。
思うに、普段から自分の経験則でしか物事を判断出来ない人は
自分が経験していない事に対して、拒否反応を示す。
結果としてどうなるかと言えば、そこで思考は停止して新しい発見はない。
もうそうなると面白くもなんともないし、凝り固まったやり方が正となる。
知識は経験に勝るっていうのはそういう事だと思う。
頭でっかちを擁護するというわけではなく、常に考え続ける人は
インプットの努力もするし、想像力も豊かでとてもクリエイティブだ。
そして結果として、自分の幅が広がっていく。
どうせ生きるなら創造的な生活を送った方が何倍も楽しいと思った夕方。